ゴミ拾い

私は、時々散歩がてらゴミ拾いをしている。

どうしても、道路に落ちているゴミが気になって仕方がないからだ。もう随分前になるが、

仕事の帰りに道路の分離帯に、たくさんの漫画本が捨てられていてビックリした。

毎回、そこを車で通る度に「まだ置いてある、誰か片付けてくれないかなぁ」と思っていた。

2か月後、捨てられた漫画本のことで、悶々としていた私は遂に決行した。

地域のゴミ収集日の早朝、漫画本をゴミ袋に入れ近くに停めた自分の車でゴミ集積場まで運んだ。

漫画本は、数日前の雨を吸ってかなり重く8冊もあつた。

何処のどなたが捨てたかも知れない漫画本を拾いにいくのは、いかがなものなのか?

しかも、自分の車に乗せるのは、どうなのか?などと悩んだが、無事処分できホッとした。

その他にも、記憶に残るゴミの思い出?として、同じ分離帯にきっちり縛ったコンビニの袋が

置いてあり、空の弁当箱とビール缶が入っていた。ゴミが、飛び散らないように配慮してきっちり縛ったと思うが、そこまで出来るならなぜ家に持ち帰る事ができないのだろう。不思議

だ。

地球が誕生して、長い時間をかけ進化の過程で人類が出現した。言わば、人類が生存できたのも地球のお陰なのだ。こういう、意識を人間が持てば簡単にゴミは捨てられないし、戦争なども起こす気には、なれないだろう。

自分の体にゴミを投げつけられたら、どうだろう?戦争で沢山の武器を使えば、人間も傷つくが、地球も痛みを感じるとおもう。

ゴミは川に流れ、さらに海に。海に住む魚達にも、大きな影響を与える。このままでは、いずれ近い将来、魚を食べる事が出来なくなるかも知れない。

人間が、ゴミを捨てる重大な罪に気付かない限り、地球から手痛い仕返しがあるかも知れない。

尊敬する野菜

毎日、命の危険が危ぶまれる猛暑が続いている。

そんな訳で、私の愛する畑のお世話がなかなか行き届かない。

早朝、草取りや水やりを頑張って畑の野菜達が産み出してくれた野菜を

収穫するのが精一杯だ。今年植えた「甘長唐辛子」「ピーマン」「ししとう」は

毎日のように、実をつけてくれ本当にありがたい。しかも、害虫にやられにくい。

ゴーヤも毎年植えているが、今年は場所を変えて2株植えてみた。

支柱を立て、ネットも張り成長を待つだけだったが、あっという間に、ツルをどんどん伸ばし

ネットに絡みつくだけでは、物足りずあちこちから、ツルが絡みつくものを探すようになった。

蔓性の植物は、ツルを絡めるものが無いと、ストレスから枯れてしまう事もある、と知ってあわてて更にもう一枚、ネットをかけた。

暫くすると、ゴーヤのジャングルのような有様になった。あまりにも、生い茂っているので

収穫が大変だ。ネットの表面の実は、発見が容易だが、問題はジャングル奥深くに実をつけて

いるものは、手探りで確認しなければいけない。

この暑さのせいか、ゴーヤの熟す頻度が高まりオレンジ色のゴーヤに変身してしまう。

タネは、真っ赤で、ゼリー状の膜?に包まれている。オレンジに熟成したゴーヤは、栄養価も高く、タネも硬いので食べるのは無理だが、口に含むと甘い。

しかし、野菜というものは、こんな猛暑にもめげず毎日のように子孫を生み出す。

本当に、尊敬に値する。

もしも、野菜達と会話が出来る未来が来たら、

「水が足りない!」「もっと美味い肥料をくれ!「害虫がいる!」

などと言われながら、人間は野菜の為に働くのだろう。

 

スズメ

「チュン、チュン」朝から、庭からスズメの声が聞こえる。

どうやら、朝ご飯?の催促のようだ。先月の終わり頃、朝食のパンが残ったので、細かく刻んで庭に置いてみた。暫くすると、一羽の子雀がやって来て慎重に安全を確認。その後、食べ始めた。

やがて、スズメの数が少しずつ増え出してきた。スズメ達が、スズメネットワーク?を利用して餌場情報を発信したのだろう。今では、大半が子スズメ達だが、10羽程がやって来るようになった。

私とスズメの付き合い?は、長い。以前、隣家に大きな柿の木があり、ちょうど我が家の境界線にあったので、その下に足付きのテーブルを置いて餌台にして見た。その柿の木が、スズメ達の止まり木になっていたので、喜んでくれるかも?とおもったのだ。

すると、目ざとく餌台に気付く、毎日利用してくれるようになった。子スズメが、親スズメから、餌をもらう光景や縄張り争いもあり、スズメの生態を観察出来て楽しかった。

スズメを驚かさないように、私は匍匐前進で窓辺のカーテンに近寄り、隙間から観察していた。

そんな、楽しい時間も3年程で終了した。ある日、柿の木が突然切られ、引っ越しをされたのだ。止まり木が無くなったせいか、スズメ達の姿を見かけることは、無くなってしまった。

今から、6年前の事だ。なので、久しぶりのスズメ達の交流は、楽しい。動物園の餌係よろしくスズメが、食べ易いように細かく刻み、雑穀米等を混ぜて与えている。

スズメの鳴き声も、「チュン、チュン」や「ジジィ、ジジィ」など何種類かあるようだ。どんな会話をしてるのか、知りたいものだ。

これからは、スズメ達の行動と鳴き声の関連性を調べてみようか、と思う。

 

ハエトリ草

桜咲く春もあっと言う間に終わり、最近は真夏のような気温にもなったりする。

そして、いよいよ蒸し暑い梅雨がやって来る。私は、北国育ちのせいか、湿気や暑さにはとても弱い。夏の終わる頃には、確実に毎年、3キロは痩せてしまう。

しかも、これから私が長年、敵対してきた「コバエ」発生のシーズンにもなる。

何しろ、奴らはとても小さいのであらゆるとこを上手くくぐり抜け

私の眼前を、嘲笑うかの如く行ったり来たりして飛ぶのだ。

以前の私なら「必殺両手挟み打ちパンチ」で奴らを捕らえる事ができたのだが

なにぶん、年を重ね瞬発力、動体視力も衰え

残念ながら必殺技も効力が無くなってきた。何か良いものは無いかと先日ホームセンターへ行ってみた。

すると、「ハエトリ草」なる植物と出会った。いわゆる食虫植物である。

育て方の説明には、日光によく当てて、常に用土は湿った状態。肥料も虫などの餌も要らない、とある。

さらに、注意書きには、面白がって「ハエトリ草」の口の開け閉めを頻繁にすると疲れて元気がなくなる…とあった。

植物とはいえ、生き物だし感情もあるのか!と認識を新たにした。

昼間は、日光をしっかり浴びさせ、日没後キッチンに置いて置けばコバエ退治に一役買ってくれるかもしれない。

というわけで、期待を込め購入した。人間同様の感情があるとしたら、見事「コバエ」を仕留めたあかつきには、心を込めてオハコの歌でもきかせてあげようかしら?

両耳ならぬ両「口」を塞ぐかもしれない。

DIY

持ち家となって知った事だが、経年劣化と共に

日常の細かなメンテナンスが意外と多いという事。まず最初に傷むのは、水周り。それと家の外壁の塗り替え。和室があれば、畳の張り替えなどがあり費用も、結構な金額となる。

で、自分で出来る事は必然的にやるしかない。例えば、網戸の張り替え、襖や壁紙、障子の張り替えなどは「DIY」で素人でもなんとかできる。

私は、父親が「DIY」で椅子や棚など作製する姿を見てきたので

世の中の男性はすべてにおいて、そう言った事が得意なものと思い込んでいた。

結婚して持ち家となって気づいた事は、それは私の勝手な妄想にすぎないという事。

私の夫は、「DIY」なるものに全く無関心でしかも苦手な人だった。夫選びのチェックが甘かった?と言えるがもうすでに時遅し。他にも、良いところが沢山ある?のでここは目をつぶる事にした。

その為、先ほど述べた「DIY」は、私の担当となった。先日、カが発生しないうちに網戸の張り替えを行なった。網戸は、少なくとも4〜5年に1回は張り替えないと水洗いしても汚れがこびり付いて落ちにくくなる。

長年、この作業を行なっているので、既に熟練の域に達している?と自負している。

新しい網を、網戸枠にクリップで止め押さえのゴムを専用ローラーでリズムよく押し込んで、

出来上がり。

ピンと張った網戸を見ると、心地よい達成感でいっぱいになる。網戸は、特にゴムが劣化してきて外れ易くなる。特に猫などがいる場合は、要注意だ。我が家も、猫達がいた時は、網が外れ脱走。捕獲するのが、大変だった。

他に障子の張り替えも行なった。部屋の中が明るくなり、幸せな気持ちになる。散歩で住宅街を歩く時、その家の様子から家主の人柄がわかる気がする。

よく手入れされた生垣、センス良く飾ら花壇の花々。きちんと整理された家周りなど。自分の家に愛情たっぷり注いでいるのが、感じられて見ている自分も楽しくなる。

これからも、自分の出来る範囲で楽しく「DIY」に挑戦していこうと思う。

「袖振り合うも…」

「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉がある。

知らない誰かさんとたまたま道で、袖が触れ合うようなことも実は前世からの因縁である、と言う意味を持ちどんな縁も大切にーと言う教えが元になっているそうだ。

私は、最近そんな場面に遭遇した。

大好きな川瀬巴水展が開催されると知って、初めての美術館に行った時の事。

自宅から電車を乗り継いで、片道2時間程の所にその美術館はあった。小さな駅に降りると、山々が連なっていて、遠くに見える山には薄っすら雪が残っていた。

普段、平地に暮らしている私にとって、目の前に迫って来る山々に異世界にいるような感覚を覚えた。

美術館には、沢山の巴水の作品が年代別に展示され非常に見応えがあった。何度も作品を眺めながら「旅情の詩人」と言われただけあって、日本の四季の美しさやそこに暮らす人々の息遣いが感じられ、改めて巴水作品の素晴らしさを実感できた。

帰りの電車を待っていると、不安な表情の女性が駅にやってきた。この駅は、改札機も無く、乗降を証明する発券機があるだけ。女性から話しかけられたので、発券機の場所を教えて、自分も初めての利用だ、と話すと安心した顔になった。

それから、巴水展を観てきた事や、この美術館には何度か車で来たことがあるなど話してくれた。電車が来ても自然と相席になり、巴水作品の感想や、今まで行った事のある美術展の四方山話しで会話が盛り上がった。

降車駅に着き、私は彼女に楽しくお話し出来たお礼を言い家路に向かった。

なんとも、不思議な名も知らない誰かさんとの楽しいご縁を経験出来た。

しかし、冷静に考えて見ると今の物騒な世の中「袖振り合う」にも条件があると思う。

今回のような、同性のしかも年上の人だと、こちらも警戒心無しで割とスムーズに会話に入る事ができる。これが見ず知らずの怪しい雰囲気丸出しのオッさんだとしたら、どうだろう?

「袖振りちぎって」足早にその場を立ち去るだろう。何事も最悪の想定を意識するのは大切だ。

ラジオ

私は、在宅時は一日中、ラジオを聴いて過ごすヘビーリスナーである。

ラジオの一番良いところは、耳で聴きながら別の事が出来る事だ。

私がよくやるのは、本を読みながら、耳はラジオを聴くという形。

まるで、多言語の世界にいる感覚。

もうひとつは、他の事を考えながら、耳はラジオを聴くという形。

ラジオを聴きながら、別世界にいる感覚になるので逆に集中力が増すように思える。

そんなながらラジオから、興味深い話しが耳に入ってきた時は

好奇心スイッチが入り、すかさずメモを取る。

先日聴いた、桜の話しは面白かった。

桜は、春に花を咲かせるために、前年の夏頃にすでに花芽をつけて

開花の準備をしているそうな。

そして桜の葉が、太陽の照射時間の長さを測り、開花のサインを送るらしい。

満開の花を咲かせるために、こんなに早くから地味な努力をしてくれている桜。

ますます、桜が好きになった。

こう言った話しを聴けるのも、ラジオの魅力だ。

映像がない分、想像力が膨らむ。