「袖振り合うも…」
「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉がある。
知らない誰かさんとたまたま道で、袖が触れ合うようなことも実は前世からの因縁である、と言う意味を持ちどんな縁も大切にーと言う教えが元になっているそうだ。
私は、最近そんな場面に遭遇した。
大好きな川瀬巴水展が開催されると知って、初めての美術館に行った時の事。
自宅から電車を乗り継いで、片道2時間程の所にその美術館はあった。小さな駅に降りると、山々が連なっていて、遠くに見える山には薄っすら雪が残っていた。
普段、平地に暮らしている私にとって、目の前に迫って来る山々に異世界にいるような感覚を覚えた。
美術館には、沢山の巴水の作品が年代別に展示され非常に見応えがあった。何度も作品を眺めながら「旅情の詩人」と言われただけあって、日本の四季の美しさやそこに暮らす人々の息遣いが感じられ、改めて巴水作品の素晴らしさを実感できた。
帰りの電車を待っていると、不安な表情の女性が駅にやってきた。この駅は、改札機も無く、乗降を証明する発券機があるだけ。女性から話しかけられたので、発券機の場所を教えて、自分も初めての利用だ、と話すと安心した顔になった。
それから、巴水展を観てきた事や、この美術館には何度か車で来たことがあるなど話してくれた。電車が来ても自然と相席になり、巴水作品の感想や、今まで行った事のある美術展の四方山話しで会話が盛り上がった。
降車駅に着き、私は彼女に楽しくお話し出来たお礼を言い家路に向かった。
なんとも、不思議な名も知らない誰かさんとの楽しいご縁を経験出来た。
しかし、冷静に考えて見ると今の物騒な世の中「袖振り合う」にも条件があると思う。
今回のような、同性のしかも年上の人だと、こちらも警戒心無しで割とスムーズに会話に入る事ができる。これが見ず知らずの怪しい雰囲気丸出しのオッさんだとしたら、どうだろう?
「袖振りちぎって」足早にその場を立ち去るだろう。何事も最悪の想定を意識するのは大切だ。